ジョン万次郎を知っている人は多いと思います。今日は日本の翻訳家であり、通訳でもあったジョン万次郎が書いた『英米対話捷径』の復刻版でかつ現代版である『ジョン万次郎の英会話』について書きます。著者は乾隆さんです。
(万次郎がバイリンガルになった理由)
万次郎は江戸時代の幕末のバイリンガルであり、またはじめての国際人として有名です。日米和親条約にも尽力しました。万次郎がどのようにして英語を身につけたのかについて関心がありました。
万次郎は土佐国(とさのくに)の漁師の次男でしたが、仲間四人とともに乗っていた漁船が難破したときに、アメリカ船の船長であったウィリアム・ホイットフィールドに助けられます。
この時、万次郎は14歳という若さでしたが、他の船員は船頭(38歳)をはじめとして万次郎より年長でした。(筆者の乾氏は、この若さが英語習得の臨界期で、万次郎が他の船員より抜きんでて英語ができた原因の一つとも考えられているようです。)
万次郎はもともと利発な少年だったようです。
その利発でそして健気なところが船長であるホイットフィールドに気に入られ、他の4人がハワイにとどまった後も、アメリカ本国に行き、ホイットフィールドにより学校教育を受けさせてもらうことになりました。
そして彼は英語の授業のほかに数学、測量、航海術、造船技術などを学びます。彼はすばらしい成績だったということです。
帰国してからは、土佐藩の藩校で教授となり、後藤象二郎や岩崎弥太郎を教えたということです。
(万次郎の英語学習)
『英米対話捷径』(えいべいたいわしょうけい)は、1859年、中濱万次郎(ジョン万次郎)が、32歳の時に幕府の命を受けて書いた英会話教本です。英会話の入門書として日常会話を中心に書かれています。
面白いのは、現代のような発音記号ではなく、すべてカタカナで読み方が書かれていて、そのとおりに読んでみると、本当の発音らしく聞こえるところです。訳も書かれていて、そこは今とほとんど変わらないものでした。
万次郎は歴史の教科書にも出てきていて、名前はよく知られていますが、本書では、通訳としてだけではなく、彼の賢さや人柄などについても書かれていてとても興味深かったです。
今日はジョン万次郎の書いた『英米対話捷径』から万次郎が学習をしたという方法を紹介しました。何かみなさんの英語学習の参考になれば幸いです。
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